- ボッチャ
【ボッチャ】003-競技人生を振り返ろう その2

ロンドンパラリンピックをめざす4年間が始まります。北京パラリンピックの4年間は、ベテラン選手を追いかけるのに必死でした。4年間を経験して流れも遠征にも慣れたように感じていました。2009年1月、JAPANCUPで敗れ「もう今年の日本代表はないなと思っていました。
しかし可能性を信じて調整していたら補欠で代表に選ばれました。もうその時、ベテラン選手はおらず私が引っ張る形になっていました。正直、この時やっと「日本代表」になれたような気がしました。同年のアジアオセアニア選手権大会。本当に悔しい思いをした。それは。ペア戦。香港との3位決定戦の時でした。
やっと最終エンドで日本が同点に追いつき、タイブレークに持ち込みました。体制的には日本が有利。
でも地元・香港。香港の最後のボールがキセキ的にジャックに寄ってしまいました。それも残り3秒で・・・。日本はあとボール残り3球。
3球とも私のボールで、ものすごく緊張していました。ちょうど私が投球するラインに相手のボールが置いてあり、邪魔でした。「邪魔なボールは最初にどかせ!」と口酸っぱく言われていました。だがそれをやらずサイドから攻めて、ミス。そして博打。勝てるチャンスはあったのに自分たちのミスで逃がしたのです。
負けが決まった瞬間、日本は悔し泣き・香港はうれし泣き。私は泣き崩れそのコートから動けずにいました。メダルを獲るために私は来ました。この大会に来るのに苦労していました。両親はこの大会に出場を猛反対をしていたのです。費用も自分で集めたのです。
1ヶ月半毎日、名古屋栄で街頭募金やら募金を募って遠征費を集めました。そんなことまでして行きたかった理由は、自分の手でロンドンパラリンピックを手繰り寄せたかったからです。それは「メダル」。あと3秒で獲れていたと思うと悔しくて仕方がなかったです。
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