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【ボッチャ】132-ロンドンパラリンピックに出場するまで〜②2006BOCCIAJAPANCUP初優勝〜
JAPANCUPは前年の日本選手権大会でベスト8入りした選手が出場できる大会です。
実は前年の日本選手権大会はまさかの予選落ちをしました。
アジア南太平洋ボッチャ選手権大会も屈辱を味わい、自信喪失していました。
帰国直後に当時の日本ボッチャ協会の理事長に
「啓太、もう一度だけチャンスをあげるから結果を出せ!」と言われました。
JAPANCUPの出場枠を8名から12名にして私を出場させてくれたのです。
何が何でもこのチャンスを逃すまいか!と思い必死にボールを投げ込みました。
ここまでして私を上げたいという強い思いが伝わってきました。
だからこそ”優勝をしたい!”と強い思いで臨みました。
「優勝できなければボッチャを辞める!」と父に誓いました。大会まで約3ヶ月・・・。
ひたすら「寄せ」の練習を繰り返しました。クリスマス・お正月もボッチャ。
練習試合をしたくても当時は愛知に選手がいませんでした。それが逆に良かったかも知れません。
もちろん”ひとりでの練習”は精神的にキツいし、自分が今どの状態なのか、わからないのです。
試合感がなく、大会の初戦はスタートダッシュができないのです。
この大会もひと筋縄でいかないのが私であり、予選リーグをギリギリ
首の皮1枚繋がって次の日の決勝トーナメントに上がりました。
そしてその勢いで準々決勝・準決勝と進みました。
準決勝の途中でハプニングが起こりました。
それは・・・ランプの支柱のねじが効かなくなってしまいました。
緊急事態で焦ったけれど、競技アシスタントだった父がランプの土台を
膝で支えました。道具のせいにしたくなかったのと絶対優勝するんだという
強い気持ちが後押し。なんとか準決勝を勝ち進みました。
準決勝と決勝戦の間にネジを取り換え、決勝へ。
決勝も相手のペースでした。
終盤に相手がミスをしたところにすかさず突っ込み
同点に追いつき、タイブレークに持ち込みました。
タイブレークに持ち込めば勝てると思っていたので、
どちらかと言えば余裕がありました。
なんとか勝つことができ、優勝。
その瞬間はとても興奮したことを鮮明に覚えています。
父にも「啓太、よく粘った!優勝おめでとう!」と。
本当にうれしかったし、とうとう日本一。でもこの日本一はチャンスを
いただいたから、本当の戦いはこれからだった。
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